肉食を支える遺伝子組み換え作物

農薬会社が第一世代の遺伝子組み換え作物を作った元々の背景としては、一言で言うと、アジアを含めた先進国の、欧米化した「肉食」を支えるためという事情があったようです。

 

肉を作るためには、牛や豚などの家畜の餌として、大量の穀物が必要になります。そのために、化学肥料と農薬で育てる工業化した農業で、穀物を大量生産する必要があったということです。

 

企業は、ニーズがあるから商品を作るわけですから。

 

肉を、効率的に、短期間でたくさん作るために、大豆やトウモロコシなどの遺伝子組み換え作物を家畜に食べさせ、成長ホルモンを与え、抗生剤を与えて生産するわけです。

 

肉を主食としている人たちが、思う存分肉を食べるために、そういうシステムを、作ったわけですね。そして、もっと儲けるために、日本にも輸出しようとしたと。

 

輸入国から「危険な食品は輸出しないでくれ」と言われても、「いや、俺たちは危険だとは思っていない。危険だというのは言いがかりだ」といって、自由貿易を進めようとしている、という話ですね。

 

遺伝子組換え作物の輸入については、種子と生産物の二つがあります。種子や種苗については、生態系に影響を与える可能性があるので、予防原則が働いているのですが、生産物については、ほとんどノーチェックで入ってきているようです。

 

遺伝子組換えで作られているのは、大豆やトウモロコシやナタネで、それから加工されて作られるのは、加工油脂やコーンシロップなどです。おもに清涼飲料水やインスタントラーメン、スナック菓子などに含まれています。

 

生産物については、結局、こういう加工食品を買って食べなければいいのだといことになります。

 

筆者は、以前から、マーガリンとショートニングが入った食品は、絶対に食べませんでしたが、最近では、加工油脂や、コーンシロップとか、異性化糖や、果糖ブドウ糖液糖などが入った加工食品は買いません。

 

輸入もののビスケットなどでも、アメリカ産のものは買わずに、EU産のもので、成分表示がちゃんとされているものを買います。EUはアメリカから輸入する非遺伝子組換え作物の分別を厳格にやっているから、信頼できます。

 

肉は、アメリカ産とオーストラリア産には遺伝子組換えの飼料が使われていると思って間違いないと思います。

 

もっとも、筆者は、「自然食ニュース」というYoutubeの動画を見てから、あまり肉を食べなくなりました。

 

以前は、動物性のたんぱく質をとることが体にいいと思っていたので、ほとんど毎日、肉を大量に食べていたのですが、だんだんと体が受け付けなくなってきました。

 

今は、基本的に、玄米と納豆を食べるようにしています。野菜は、基本的に無農薬のものを食べています。

昔の人は、お米と少しの野菜があれば十分と言っていましたが、確かに、玄米は美味しく、お味噌汁とお漬物があればけっこう満足できます。

期せずしてマクロビ的な食生活になっています。

 

前回、「種子法」廃止の背景には、農業の工業化を進めるという方針があると書きました。

 

工業化された農業の良いところは、農家にとって「農業が楽になる」という選択肢を与えてくれるということです。

 

もしも農薬や化学肥料を使わない自然農法を選ぶと、絶え間なく除草や虫取りをしなければならなくなります。

 

自然農法よりは、化学肥料や農薬を使った普通の農法の方が、農家にとっては楽であることは間違いありません。さらに、遺伝子組み換え農業は、使い方や費用の面で制約はあるものの、化学肥料や農薬を使った農業よりも、さらに楽になる、ということだと思います。

 

しかし、最近では、農薬や化学肥料の危険性や遺伝子組み換え作物の危険性が一般に知られるようになってきたこともあり、世の中がだんだん食の安全を重視する方向に進んでいると感じます。

 

最近では、スーパーに行っても、無農薬野菜のコーナーもあるし、有機認証マークがついた食品も普通に売っています。

 

ところで、遺伝子組み換え作物を開発した化学肥料の会社は、それが「世界の食料問題」を解決するから良いものなのだ、と宣伝しました。

 

しかし、それは嘘で、現在の遺伝子組み換え作物は、そもそも生きるための食料手に入れることができない人たちに対する救いとは関係がない話なのです。

 

遺伝子組み換え技術は、いくつかの基本特許を、少数の会社が相互ライセンス契約で持ちあっています。

 

発展途上国の公的な農業研究機関や小さな企業が、遺伝子組み換え技術を利用しようとしても、網の目のように張り巡らせた特許が障害になります。(大塚善樹「遺伝子組み換え作物 大論争・何が問題なのか」p81)

 

日本政府が、農家を民間企業の下請けとして再配置して、飼料や業務用米の増産体制を推進することで、日本の輸出額は増えるでしょうが、それは経済が発展してきて肉を食べるようになった国に「アメリカ的な食文化」を広めることに役立つだけです。

 

「肉を食べる」というアメリカ的な食文化は、そんなにいいものなのでしょうか。

 

何れにしても、今のところ、遺伝子組み換え技術は、「自然で安全な本来の農業の構築」とか、「世界の食料問題の解決」とは関係のない技術だと考えます。

 

筆者は、日本の農業が進化して、農家や消費者がもっと豊かな生活を享受するために向かうべき方向は、もっと違うところにあるのではないかという気がします。

 

たまたま、今日近くのお米屋さんに立ち寄ったところ、自家採種で作ったという、胚芽が特に大きいコシヒカリが売られていました。1kg870円くらいで、少し高価でしたが、試しに買ってみました。

 

小さな農家でも、そうやって農業をしている人がいるのですね。おそらく、何か、志があって自家採種をされているのでしょう。

 

また、そのお米屋さんは、住宅街の中にある、昔からの小さなお店ですが、栽培農家の方との直販の仕組みを作ってなんとかビジネスを成り立たせているのだと思います。確実に新しい流れができつつあることを感じました。

 

そういう農業のほうが、実は先端農業でもあるし、本来はそういう農業を支えることの方が大事なんじゃないかと思いました。

 

アメリカにはそもそも日本のような、お米という食文化がないですし、お米がどういうものであるかはわからないでしょう。お米が平和で穏やかな日本人の気質を形成する上で大いに関係があるということは想像もつかないでしょうね。

 

TPPという外圧で色々な異物が入り込んできていると思うのですが、その流れをはっきりと自覚しておくことが、流れに流されて自分自身を見失わないためにもまず大事なことなのではないかと思います。

 

その上で、あるべき農業のことを考えていきたいと思います。

種子法の廃止

12月25日に、港区で、NPO法人が主催する「種子法廃止」シンポジウムが行われたので、参加してきました。広いセミナールームが満席になるほどの盛況でした。

 

なぜ盛況だったのかというと、「種子法」が突然廃止されたことに違和感を感じた人が多かったのだと思います。

 

筆者も、米国がTPPから離脱したので、TPPの問題はもうなくなったと勘違いしていたのですが、そうではなく、日米交換文書によって米国投資家の要望に従った法整備が始まっているそうです。

 

「種子法廃止」もその一環です。

 

筆者は、たまたまTwitterで種子法廃止に警鐘を鳴らす記事を見て、このシンポジウムを知ったのでした。

 

「種子」は、私たちの命の根本に関わる、食料問題の鍵でもあります。

 

今後、自分なりにじっくり考えていきたいと思っていますが、まずは、シンポジウムで聞いた農水省の境田課長の話についての、個人的な感想をお伝えしたいと思います。

 

なお、あくまで筆者の個人的な考えであり、誤解や思い違いも多々あると思いますので、その点はあらかじめご容赦ください。

 


種子法廃止のロジック

 

境田氏の主張は、要するに、「主要農作物種子法」通称「種子法」が突然廃止されたのは、決して不当なことではない、むしろ、日本や、農民にとって良いことなのだ、というものでした。

 

「種子法」というのは、戦後すぐに作られた、種子の「増産」に関するプロセスを決めた法律です。

 

「増産」とはどういうことかというと、育種家が新しい種子を作ると、都道府県が指導して、種子を作る農家が、その種子をたくさん増やします。増えた種子を使って、普通の農家がお米を作るのです。

 

種子というのは、一粒一万倍というくらい、一年でたくさん増えるのですが、できた種子にはいろいろな性質のものが混じるので、純粋な固定種を作るために、良い性質だけを持つものだけを残すように、絶え間なく選別を繰り返す必要があります。

 

この選別にノウハウがあります。

 

この、種子を「増産」するというプロセスがないと、農業が成り立たないくらい重要なのですが、この増産するプロセスの役割を、現在は、都道府県が担っています。

 

「種子法」は、その責任を、都道府県に「義務」付けています。

 

ところが、都道府県に責任を「義務」付けていることが、米国投資家には気に入らないようなのです。

 

境田氏によると、この義務付けが原因で、民間企業が、種子の生産の事業に参入することに「やる気を削がれ」ているというのです。

 

ちなみに「農業競争力強化プログラム」(H29.11.29農水省・地域の活力創造本部決定)の1「生産者の所得向上につながる生産資材価格形成の仕組みの見直し」の(1)「生産資材価格の引き下げ」のにはこうあります。

 

「戦略物資である種子・種苗については、国は、国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する。
そうした体制整備に資するため、地方公共団体中心のシステムで、民間の品種開発意欲を阻害している主要農作物種子法を廃止するための法整備を始める」

 

要するに、「種子法」は、民間企業の「やる気を削ぐ」から、悪い法律だ。
だから、廃止して、やる気を出してもらわないといけないと、簡単にいうとそういうことですね。

 


「種子法」があるから、民間企業の「やる気が削がれる」。
だから、「民間活力が活用できない」。
だから農業の「国際競争力」がなくなる。
だから「農家の収入が上がらない」。

 

という、構造でロジックができています。

本当かどうか怪しいですが、そういう主張をしています。

 

つまり、種子法を「廃止する」大義名分としては、民間企業のやる気を引き出すため、ということになります。

 

ちなみに、同じく△砲呂海書いてあります。

 

「生産資材に関する各種法律制度」については「… 国際標準に準拠するとともに」「… とくに、合理的理由の無くなっている規制は廃止する」とあります。

 

つまり、種子法を「廃止する」のは、「国際標準」に準拠していないし、「合理的な理由がない」からだ、といっているのだと思います。

 

同じくには「国は、各種生産資材について、メーカーが、適正な競争状態の下で、高い生産性で生産し、国際水準を踏まえた適正な価格で販売する環境を整備する」とあります。

 

つまり、こう言いたいのだと思います。

 

日本では稲などの穀物の種子の増産プロセスの維持管理の義務を都道府県に負わせているが、これは国際標準とは違う。
先端科学技術を使って、高い生産性を誇る、アメリカの種子会社が日本市場に参入できないのは、日本の法制度自体に問題があるからだ。
競争を認めず、高い生産性を訴求せず、適正な販売価格を認めない日本の法制度には、合理性がない。

 

その考え方を受けて「農業競争力支援法」が出来たのだと考えられるのですが、その中ではなんと、都道府県が有する種子生産に関する知見を民間業者へ提供することが規定されています。

 

農水省の資料には、種子法の廃止が外資の参入をしやすくするという批判を意識してか、「種子法が外資の参入を防止していたわけではありません」と書かれています。

 

しかし、「種子法廃止」により、予算の法律上の根拠がなくなったことで、都道府県の種子の開発力は徐々に阻害されていきます。そして、「種子法廃止」に伴い、知見の提供が可能になったことにより、外資の参入がより容易になったと言えます。

 

何より、この「農業競争力強化プログラム」は、明らかに、米国投資家のグローバリズムの思想のもとに、米国資本家のために作られているものであると思います。

 

そして、境田氏の別の資料には、農業の合理化によって農家の収入が増えるとする資料や、生産用の米を海外に輸出するというようなチャートがありました。

 

それらを総合すると、資料全体のストーリーは、以下のようになります。

 

 

「種子法」があるから、民間企業の「やる気が削がれる」。
だから、「民間活力が活用できない」。
だから農業の「国際競争力」がなくなる。
だから「農家の収入が上がらない」。

 

だから、

 

「種子法」を廃止すれば、民間企業の「やる気が引き出される」。
そうすれば農業振興に「民間企業の力を活用できる」。
特に、民間企業と国が協力して、民間企業が開発した米を輸出するプロジェクトを進める。
そうすれば、「国際競争力」がついて、「農家の収入が上がる」。

 

そういうストーリーを展開しています。

 

 

これは問題解決のストーリーになっているようにも見えるので、一見「なぜ日本の農業は衰退していくのか」という問題意識があって、その解決のために立てた施策なのかと勘違いします。

 

つまり、日本の農業は、生産性が低く、農家の収入は高くないので、農業で食べていくのは非常に難しい。だから、「農家の収入が上がる」方策を立案しました、というメッセージのように一瞬聞こえます。

 

ところが、よく読むと、現在の農家のことは何も考えていません。

 

「人口の減少と高齢化に伴い、国内の農業の市場規模は縮小している。一方で、世界の農産物マーケットは拡大の可能性がある、だから、日本のコメをもっと海外に売るべきである。

そのためには、一部の企業と国がその事業を立ち上げていくから、農家は下請けとして働きなさい」という話であることがわかります。

 

「なぜ日本の農家の収入は少ないのか」という問いに対する答えではありません。

 

「アメリカのように農業を産業化するにはどうしたら良いか」という問いに対する答えのようです。

 

お米作りを、アメリカの小麦やトウモロコシや大豆のように、工業にして、少数のアグリ企業の傘下に吸収して、輸出産業に育てることで「儲ける」ことがゴールであり、それを日本のあるべき農業の姿と考えているのでしょう。

 

ちなみに、ヨーロッパの農家は、収入の8割が補助金だそうです。農業はどこの国でもその性格上生産性が低いのだと思います。しかし食の問題は国防の問題であるので、補助金で農業を支えることに国民が納得しているわけです。

 

しかし、農業が、こういう日本の「食糧主権」を守るためのものだという認識はないようです。

 

与えられた土俵自体が、国民が望むものなのかという問いを立てることはしません。

 

というより与えられた土俵から出る事は許されていないのだと思います。

 

何しろ、TPP協定並行会議に関する日米交換文書にはこう書いてあるからです。

「日本政府は米国投資家の要望を聞いて、各省庁に検討させ必要なものは規制改革会議に付託し、同規制改革会議の提言に従う。」

 

そうすると、全体のストーリーから窺えることは、「種子法」廃止の理由として、一番の理由は、日本の農業を工業化するために邪魔になるからであると思われます。

 

そのために、いっそのこと日本の農業の全部をアメリカ式に変えてしまおうということだと思います。

 

アメリカでは、「種子の増産のプロセスを民間の営利企業が担っている」ので、日本も同じにしてしまおうということです。アメリカで問題ないのだから、日本だって問題ないと、アメリカ人の投資家は考えているはずです。

 

ここで民間というのは、巨大な資金力を持つグローバル企業のことを言っています。

境田氏は、「民間」とは、日本の会社であるといっていますが、株主がアメリカの投資家であれば、外資と同じです。

工業化された農業の、「生産資材」を供給できる規模の技術力を持った会社のことです。

 

「あるべき農業とは、農薬と肥料を使った工業としての農業のことだ。生産コストを下げるための遺伝子組み換え農業のことだ。そういう科学を駆使した農業の合理化をして、大量生産できるようにすることこそが、正しい農業の進化の道なのだ。」

 

農業をビジネスにしているアメリカ人の資本家は、きっとこのように本気で考えているのではないでしょうか。


種子を工業製品と同じように考えているわけです。

 

しかしこういう発想には何かが欠けている気がします。

 

これから研究したいと思います。

 


種子法の廃止は行き過ぎ

 

もし、「農業競争力強化プログラム」が、産業用の米の品種に限定し、コメの全生産量の、10%か20%程度の、ほんの一部を工業化するプロジェクトであるのならば、まあそれはそれでもいいのかなという気はします。

 

しかし、そうであれば、つまり残りの8割を引き続き都道府県がサポートするのであれば、小規模農家に種子を安定供給する仕組である種子法を「廃止」するところまでは必要なかったはずです。「改正」でよかったはずです。

 

ところが、知らないうちに種子法を廃止してしまったところをみると、やはり、狙いは、種子の増産の責任のすべてを、都道府県から奪うということで、それにより、新品種の開発能力を低めることにあったのではないかと思います。

 

育種や種子の増産プロセスは、工業製品でいえば、デザインのプロセスです。この部分が、肝心なのです。

 

ある意味、その後の、生産、流通のプロセスは、付加価値がなく、それでいて一番手間がかかる、旨味のない工程です。一番美味しい工程だけ取って、後の、手間だけかかって旨味のない工程はすべて下請けの農家にやらせるわけです。

 

しかも、付加価値をつけるやり方が、農薬や病害虫への耐性のある遺伝子組換や、雄性不稔種を親にして作ったF1(一代雑種)の生産といった、独自の科学技術です。その技術を知財として振りかざし、種子を販売する権利を自社に囲い込むわけです。

 

もし、種子を増産するプロセスを全て私企業に握られてしまったら、たとえ固有種の種子がジーンバンクの中に保存されていても、それは博物館にあるのと同じで、都道府県が公共性の観点から開発している固有種の種子が農民に行き渡らなくなる恐れがあります。

 

都道府県の責任で増産される稲の種子は、安価で農家に提供することを目的としています。ところが、営利企業では、その性格上できるだけ高価に販売することが目的です。都道府県が安くて良質の種子を販売すると、企業の種子は売れません。

 

だから、最終的に都道府県が作る種子は、「兵糧攻め」にして、活動を止めさせるところまで追い込むのではないでしょうか。予算の根拠法がなくなったので、今後、その可能性があります。

 

自分が所有する事業の収益をあげ、株価が上がれば、あとはどうなってもいいという考えで事業をする、そういう「欲望の経済」の原理が許されるのであれば、その一部の人たちによる経済活動によって、地球環境の破壊や、経済の破壊が行き着くところまで行くであろうことは明らかだと思います。

 

植物の種子の遺伝資源は、人類全体のものであって、ある企業が知財として独占すべきではないと考えます。社会や地球環境全体のために、神から与えられた恩恵であって、自分の物とせず、分かち合わなければいけないものだと思います。

 

そもそも、食の問題に、「欲望の経済」の原理を適用していいのか、ということが問わなければならないと思います。貪欲に自分の利益だけを追求するエゴを動機として、「欲望」のエネルギーを推進力として行われる経済活動を認めてもいいのか、ということです。

 

「欲望の経済」の原理ではなくて、「愛の経済」の原理に変わっていかないと、地球の未来はないと思います。

 

「愛の経済」の原理では、「利他」を動機として、「愛」のエネルギーを推進力として行われる経済活動でなければ、不当な活動であると見なされます。

 

 

稲の農業技術を根絶やしにする兵糧攻め

 

先ほど、一部の企業は「種子の増産」プロセスを押さえることで、自社の利益を最大にしようと考えているのではないかと述べました。

 

そのための方法として考えられるのは、いわゆる「兵糧攻め」です。

 

「種子の増産のプロセスに民間の力を活用する」ために「種子法を廃止」する事で、都道府県による種子の増産のプロセスを、長期的に日本国から無くそうとしており、そのために、予算をなくそうとしています。

 

境田課長は、「そういう意図はないし、都道府県が従来と同じ役割を担えるよう、予算化できるように努力する」と言っていました。しかし、山田元農水大臣によれば、経験上根拠法がなくなったならば予算がつく保証はないということでした。

 

思うに、農業競争力強化支援法8条4号では、都道府県に、種苗の生産に関する知見を民間業者に提供することを求めています。

 

この条文と合わせて考えると、「種子法を廃止」するのは、間違いなく、都道府県から種子の増産のための予算をなくし、「兵糧攻め」にする事が目的だと考えられます。

 

「兵糧攻め」にすることで、10年あれば日本国から種子の増産の技術を根絶やしにできます。

 

私が思うに、「農家に安価で良質な稲の種子を供給する、日本独自の仕組み」をいま変える必要性も合理的な理由もないことは明らかだと思います。

 

それは上に述べたように、農水省の農業ビジョンが、「遠い未来を見据えた農業の工業化」でしかないからです。

 

現在の農家の仕事を豊かにすることは何も語っていないからです。

 

ですから、「種子法の廃止」は非常に問題があります。

 

日本の種子を守ることが必要です。その予算化のための新たな法制化はどうしても必要だと思います。

 

「種子を守る」ということは、同じスタッフが、これまでと同じぺースで新種の増産が続けられるくらいの予算を確保するということです。

 

極論ですが都道府県による育種や種子の増産のプロセスがなくなり、全てが私企業に移管されたらどうなるでしょうか。

 

育種技術の中には、アートの部分がかなりあると推察します。筆者は農業については素人なのですが、システムの開発をしていたのでおそらくそうではないかと思うのです。

 

科学というのは、人間の便宜のためのものですので、人間に対する愛が必要なのです。質のいい技術は、質のいい人間からしか生まれてきません。

 

現在、都道府県で行われている育種や種子の増産技術は、使命感のない人間には、精神の部分が伝わらないのではないでしょうか。

 

民間事業者による種子の増産事業は、企業が営利目的である以上、社内でコストが優先された場合、現在行われているきめ細かい管理が行われなくなり、出来上がる種子の質は著しく落ち、農業の生産現場に大きな混乱をもたらすであろうことは想像に難くありません。

 

種子の増産技術が営利企業に引き継がれ、一方地方自治体の予算がなくなった場合、そこで、現在のレベルの種子の増殖の仕組みは日本からなくなると考えて間違いないと思います。

 

営利企業に移管されたプロセスは、コスト削減のために遠からず簡素化されて行きます。これにより、生産物の品質が下がります。結果として、日本の米の価格競争力が下がります。

 

似たようなことは、アメリカ人の株主に買収された、日本中の企業の中で軒並み起こった事ですから、その感覚がわかる人も多いと思います。

 

「種子法廃止」の結果、予算の根拠法がなくなることにより、都道府県の圃場の運営や奨励品種の生産業務が衰退する環境が現れてくると思います。

 

農業競争力がないから、都道府県の責任を解除するのではなく、都道府県の責任を解除するから、農業競争力がなくなるという因果関係です。説明が逆なのです。日本の農業競争力をなくし、国力を弱めるために、都道府県の責任を解除しようとしているとまでは言いませんが。

 

「種子法の廃止」については、引き続き考えて行きたいと思います。

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